大判例

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新潟地方裁判所 昭和62年(人)2号 判決

請求者

山田花子

右代理人弁護士

伴昭彦

伊津良治

拘束者

山田一男

右代理人弁護士

小出良政

石田浩輔

被拘束者

山田太郎

右国選代理人弁護士

坂東克彦

主文

一  被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

二  手続費用は拘束者の負担とする。

事実

請求者及び拘束者の申立て及び主張は別紙請求書、答弁書及び拘束者の主張に対する認否書に、疎明関係〈省略〉。

理由

第一拘束の有無

請求者と拘束者は昭和五四年六月六日に婚姻をした夫婦であり、被拘束者は両者間で昭和五五年六月二五日に出生した長男(現在七歳)であること、請求者と拘束者は昭和六〇年二月五日ころから別居していること、被拘束者は昭和六〇年八月三一日以降拘束者の肩書住所地において拘束者に監護されていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

右事実によれば、被拘束者に意思能力のないことはその年齢に照らして明らかであり、これを監護することは、人身保護法及び同規則にいう「拘束」に当たると解される。

第二本件請求に至る経緯及び請求者・拘束者双方の生活状況等

〈証拠〉によれば、以下の事実(この中には前記の当事者間に争いのない事実も含まれる。)が一応認められる。

一本件請求に至る経緯

1  請求者と拘束者は、昭和五四年六月六日に婚姻をした夫婦であり、拘束者肩書住所地において拘束者の両親及び被拘束者と同居していたが、両者間には、当初からその生まれ育った生活環境や性格の相違、生活に対する考え方の違い等があり、特に甘やかされて育った拘束者がその肉親から精神的に独立しておらず、経済的にも相当程度これに依存している状態の中で、独立心が強くて性格的にも強い請求者と物心両面で協力して婚姻生活に対処していこうとする姿勢を持ち合わせておらず、そのための努力を怠っていたことから、両者間の婚姻生活は次第に破綻していき、昭和六〇年二月五日ころには請求者が被拘束者を連れて実家(新潟県○○市〈以下省略〉△△△△方)へ帰るに至った。

2  請求者は美容師であり、右別居後も被拘束者の世話を姉の山野甲子(以下「山野」という。)に依頼して勤務を続けていたところ、同年三月六日ころの午前中、拘束者とその父が請求者の留守中にその実家を訪れ、留守番をしていた山野に対し「昼までに返すからそれまで預からせてほしい。」といいながら被拘束者を拘束者の肩書住所地(実家)へ無理矢理連れ去った。請求者はその日の帰宅後、拘束者の肩書住所地へ赴いたが、被拘束者に会うことはできず、その後何度会いに行っても同じことであった。

3  請求者は間もなく新潟家庭裁判所に離婚の調停を申し立て、請求者と拘束者との話合いが行われるようになった。その後、調停委員の勧めもあって拘束者は被拘束者を請求者に時々会わせるようになり、同年八月七日には、請求者は被拘束者を請求者の実家へ連れて帰って一緒に暮らすようになった。

4  ところが、右離婚調停が不調に終わった直後の同月三一日ころの午前九時ころ、拘束者は、その父である山田二男及び友人の丙を同道して山野方(新潟県○○市○○一の三)に押し入り、請求者の留守に乗じて山野の抵抗を排し、預けられていた被拘束者を無理矢理連れ去った。その後被拘束者は、拘束者の肩書住所地において、拘束者、その両親及び拘束者の依頼を受けた姉の川田月子によって監護されている。

5  これに対して請求者は、被拘束者を暴力で奪い合うことは被拘束者の心身に悪影響を及ぼす恐れがあるから避けるべきであり、裁判で決着をつけるほかないと考え、同年九月二六日、新潟地方裁判所に拘束者との離婚等を求める訴え(同裁判所昭和六〇年(タ)第三四号)を提起した。同裁判所は昭和六二年六月三〇日、請求者の請求を認めて「原告(請求者)と被告(拘束者)とを離婚する。原告(請求者)と被告(拘束者)間に出生した長男太郎(被拘束者)の親権者を原告(請求者)と定める。」との判決を言い渡したが、拘束者はこれに対して控訴を申し立て、右訴訟は現在、東京高等裁判所に係属している。

二請求者・拘束者双方の生活状況等

1  請求者(昭和二一年八月一三日生)は、中学校卒業後、理容美容高等専修学校で美容師の課程を修了して美容師となり、現在○○市内において美容院を経営し、約三〇万円の月収がある。朝七時四〇分ころ肩書住所地から出勤し、夜七時三〇分ころ帰宅するため、被拘束者を手元に引き取った場合、日中はその面倒を見ることができない。しかし近所(徒歩約一〇分の所)に姉の山野(五〇歳)が住んでおり、同人は無職で、子供が二人(二〇歳と一九歳)いるが、いずれも会社員であるから、被拘束者の世話を山野に依頼することが可能である。

2  拘束者(昭和二五年六月一八日生)は、現在漁業を営んで約四〇〇万円の年収があると供述するが、信用性にやや疑問があり、また精神的にも肉親から十分独立していないこと、従来職を転々とし、経済的にも肉親に依存していた期間が長いことから、職業人としての自覚が強いとは思われず、さほど安定した収入は見込めない。ただ肉親の援助は期待可能である。拘束者は現在、被拘束者のほか拘束者の両親と同居しているが、拘束者とその父では被拘束者の細かな身の回りの世話までは手が届かず、拘束者の母(山田ユキ)も病気がちであるため、被拘束者の日常の世話を拘束者の姉の川田月子(昭和一六年生。○○市内に居住し、子はない。)に任せている。

3  被拘束者は、昭和六〇年八月三一日以降も引き続き拘束者肩書住所地近くの○△保育園に通い、昭和六二年四月に近くの△○小学校に入学したが、保育園時代の友人関係がそのまま継続して一応安定した状態にある。この間請求者は、保育園と小学校へそれぞれ数回赴いて被拘束者と面接したが、その際、「お母さん、いつ迎えに来てくれるの」と尋ねられたこともある。

4  現在、請求者、拘束者ともに被拘束者の親権者となることを希望している。健康については、双方とも特段の問題はない。

第三拘束の違法性ないしその顕著性

夫婦の一方が他方に対し、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡しを請求した場合には、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として子に対する拘束状態の当・不当を定め、その請求の当否を決すべきである(最高裁判所昭和四三年七月四日判決民集二二巻七号一四四一頁)。

そこで、第二で認定した事実関係を前提とした上で、右の観点から本件拘束状態の当・不当を検討することにする。

一双方の監護能力について

請求者、拘束者の双方とも被拘束者の監護をすべて自分一人で行うことは不可能であり、それぞれ姉に依存するほかないが、いずれの姉にも右監護に当たる時間的余裕はある。請求者の姉は実子二人を育てた経験があり、拘束者の姉は現に二年以上にわたって被拘束者の監護に当たってきた実績があって、いずれも不適任とはいえない。

請求者には安定した収入(月額約三〇万円)が見込めるのに対し、拘束者の収入は不安定であり、また七四歳と高齢であるその父二男の将来のことを併せ考えると、この点に対する不安は一層大きいものと判断される。

二拘束開始の手段方法について

拘束者は、請求者の依頼を受けて被拘束者の監護に当たっていた山野の抵抗を排し、被拘束者を実力で強引に連れ去ることにより本件拘束を開始したものであって、かかる不法な行為は容認されるべきではなく、相当の重みを有する事情として考慮すべきものである。もっとも右実力行使があったのは既に二年以上も前のことではあるが、請求者はその間漫然とこれを放置していたわけではなく、被拘束者を暴力で奪い合うことが被拘束者の心身に及ぼす悪影響を恐れて自制し、被拘束者が連れ去られた直後に拘束者との離婚請求訴訟を提起し、裁判による決着を求めたのであるから、二年余の経過により、右実力行使の違法性の重みが減少すると考えるべきではないことは当然である。

三被拘束者は、まだ幼少(七歳)であり、父親よりも母親との接触がより重要な時期と考えられる。

四請求者が被拘束者と別居するようになって既に二年余が経過したが、被拘束者の出生後現在までの七年余の間、両者が別居したのは、昭和六〇年三月七日ころから同年八月六日ころまでと、同年九月一日以降現在までに限られており、右九月一日以降も、請求者は被拘束者の通っている保育園及び小学校へそれぞれ数回赴いて被拘束者と会っているのであるから、この二年余の別居の点を格別問題とする必要はない。

五被拘束者は、昭和六〇年八月三一日以降も引き続き拘束者肩書住所地近くの○△保育園に通い、昭和六二年四月からは同様に近くの△○小学校に通学していることにより、保育園時代の友人関係がそのまま継続して一応安定した状態にあるから、これを敢えて請求者に引き渡すことは右安定を害することになる。しかしこれも単なる一時的なものであり、将来請求者を親権者とする離婚判決が確定した場合(当裁判所は、前記離婚判決が上級審において覆る可能性は少ないものと判断した。)にはいずれ生じることであって、この点もさほど問題とする必要はない。

逆に右離婚訴訟の確定ないし控訴審の結果を待つためにとりあえず現状を維持しておくとすることは、単に拘束者の違法な行為によって起こされた本件拘束状態を裁判所が是認する結果となるだけでなく、右控訴審判決に至るまでの期間本件拘束状態が継続し、そのこと自体が既成事実となって当事者間の法律関係に影響する恐れがあるのであって、かくては、当事者としては自力救済以外には途が無かったことになりかねず、到底受け入れることのできないものである。

六〈証拠〉によれば、請求者・拘束者の前記離婚請求訴訟の第一審判決は、被拘束者の親権者の指定に関し、「被告(拘束者)としては、男子の面子として、離婚をするなら、子供の面倒は自分でやると意気込むだけで、その実情は両親と姉夫婦に依存しているのであり、その経済的基盤の不安定さ等を考慮すると、未成年者である太郎(被拘束者)が近い将来、自己の意思によって、両親のうちどちらと一緒に生活をしたいとの希望を述べるようになる精神的成長のあるまでの間は、まだ小学生である太郎(被拘束者)に与える母親の精神的影響を考慮し、母親である原告(請求者)をその親権者と定めるのが相当であるというべきである。このことは、被告(拘束者)が主張する現時点での太郎(被拘束者)の生活環境の安定を害することにはなろうが、それも単なる一時的な生活上の変化であり、太郎(被拘束者)の将来を考えると、右の一時的環境の変化もやむを得ない」と説示している。当裁判所に提出された疎明資料に照らすと、右判断は十分に合理性を有するものであって特に不相当と認めるべき点はなく、右判決は未だ確定していないとはいえ、かかる公権的判断がなされたことはそれ自体尊重すべきものである。そして、将来右判決が確定するまでには、なお相当の長期間を要する可能性があるから、第三の五に示した判断に従い、右判決確定の後に初めて被拘束者を請求者のもとへ引き渡すよりは、現時点で直ちにその引渡しを命ずることが、被拘束者の幸福に適すると考えられる。

七以上を総合すれば、請求者に被拘束者を監護させるのが被拘束者の福祉に適うことが明らかであり、拘束者による本件拘束状態はその違法性が顕著な場合に当たるものと解すべきである。

第四拘束者の主張について

拘束者は「親権者を請求者と定めることが相当であるかどうかについて、拘束者はこれを争い、控訴審の判断を求めているものであり、第一審判決のいわば仮執行的手段として、人身保護法に基づく引渡しの請求をすることは許されるべきでない。」旨を主張するが、離婚請求訴訟の判断が確定するまでなお相当の長期間を要する可能性のある本件において、右主張を採用することは、前記のとおり被拘束者の幸福を害する恐れが大きく、排斥を免れない。

第五結論

よって、本件請求は理由があるからこれを認容して被拘束者を釈放し、なお同人が幼児であることに鑑み、人身保護規則三七条を適用してこれを請求者に引き渡すこととし、手続費用の負担につき人身保護法一七条、人身保護規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉崎直彌 裁判官西野喜一 裁判官村上正敏)

別紙 〔請求書〕

請求の趣旨

被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

手続費用は拘束者の負担とする。

との判決を求める。

請求の理由

一、(婚姻関係)

請求者と拘束者とは昭和五四年一月見合をし、同年六月六日婚姻の届出を了した夫婦であり、原告と被告間には昭和五五年六月二五日出生した長男である被拘束者(現在満約七才二ケ月)がある。

二、(婚姻生活の破綻)

請求者と拘束者の婚姻は、拘束者が実家から精神的に乳離れ出来ず、夫としての自立心に欠ける面があったこと及び自己中心的な行動が顕著であったことに起因し、転職をくり返し、加えて粗暴且つ異常な振る舞いを止めなかった為破綻した。

尚、拘束者は、昭和六二年五月一七日午前七時半すぎ、新潟市内を車で走行中自転車に乗っていた人をはねてそのまま逃走し、翌一八日豊栄署に逮捕されている。

三、(離婚判決)

請求者は、離婚調停を経た上で前記事情に基づき婚姻を継続し難い重大な事由が存在することを理由に離婚の訴えを提起し、昭和六二年六月三〇日ほぼ請求者の主張をそのまま認容する請求者勝訴の判決、即ち

原告(請求者)と被告(拘束者)とを離婚する

長男太郎の親権者を原告(請求者)とする

を受けた。

右判決において、拘束者は離婚をするなら子供の面倒は自分でやるとの面子にこだわっているだけで、同人に子供を養育するしっかりした経済的基盤が無いこと、これに対し、請求者は結婚前から続けている美容師の仕事がありその経済的基盤は安定していること、昼間の勤務中の監護については姉夫婦の援助が期待できること及び未だ幼少である被拘束者に与える母親の精神的影響の大きさを考慮し、被拘束者の親権者を請求者と決定したものである。

四、(長男太郎の拘束)

請求者と拘束者との離婚調停が不調に終わった後の昭和六〇年八月三一日頃、請求者は被拘束者(太郎)を姉に預けて実家から出勤したが、その日の午前中、拘束者とその父親及び請求外丙が右実家に来て、玄関、裏口、窓の三方から請求者の姉及び被拘束者が逃げ出せないようにして家の中に押し入り、請求者の姉の抵抗を排して嫌がる被拘束者を拘束して無理矢理連れ去った。

これ以来被拘束者は、拘束者及びその祖父母と同居している。

その後、請求者が被拘束者の通っている保育園に会いに行った際、被拘束者は、請求者の傍らからなかなか離れたがらず、「いつ迎えに来てくれるか。」とせがまれ、請求者を帰そうとはせず、困らせたこともある。

五、(結論)

以上のように、第一審では被拘束者の親権者は請求者とする判決が下されている。しかるに、拘束者は現在に到るも被拘束者の拘束状態を継続して請求者の親権の行使を妨害している。前記のように、拘束者は凶暴且つ異常な性向を有しており、加えてひき逃げ事件を引き起こすなど順法精神にも欠如していることからして、被拘束者を健全に養育する力はない。

よって請求者は拘束者に対し、正当な親権の行使に基づき、被拘束者を釈放し、請求者に引き渡すことを求める。

〔答弁書〕

請求の趣旨に対する答弁

1 本件請求を棄却する。

2 手続費用は請求者の負担とする。

右旨の判決を求める。

請求の理由に対する答弁

一 第一項 認める。

二 第二項 請求者と拘束者の婚姻生活が破綻したとの主張は争う。もっとも、請求者は破綻を理由とする離婚訴訟を提起し、現に控訴審係属中である。

また、拘束者が交通事故を起し、逮捕されたことは争わない(たゞし、事故年月日は昭和六二年三月二七日であり、右事件は同年六月二四日懲役八月執行猶予四年の判決があり、終結している。)。

三 第三項 認める。

ただし、拘束者はこの判決を不服として控訴し、第一回口頭弁論期日は来る一〇月一日と指定されている。

四 第四項 拘束者が昭和六〇年八月三一日以降拘束者方で、拘束者と同居していることは認める。

その余は争う。

五 第五項 争う。

拘束者の主張

一 本来、人身保護法による救済を請求することができるのは、法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束する場合において、その拘束が権限なしになされていることが顕著なときに限定されるものであることは、人身保護規則第四条本文に明定され、最高裁大法廷の判例とするところでもある(昭和二九年四月二六日決定 昭和三〇年九月二八日判決)。

ただし、最高裁は、夫婦関係が破綻に瀕しているときに、夫婦の一方が他方に対し人身保護法にもとづきその共同親権に服する幼児の引渡しを請求することができる場合もあるとしている(昭和二四年一月一八日判決)。

しかし、その場合にあつても、人身保護法による請求である限りは、前項で述べた人身保護規則第四条本文に定める制約、特に拘束の違法性が顕著であることの制約が存することは言うまでもなく、最高裁もその旨判決している(昭和三三年五月二八日二法廷)。

この点、離婚訴訟判決で親権者を定める場合、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかと判断すれば足りるのとその趣きを異にする。

本件請求は、次に述べるとおり、拘束の違法性が顕著であるとの要件を欠くものであつて、棄却すべきである。

二 事実関係

1 昭和六〇年八月三一日以降、拘束者が被拘束者を監護養育している経緯について

(一) 請求者は、昭和六〇年二月五日ころ拘束者に無断で被拘束者を連れて別居したので、同年三月六日ころ被拘束者を連れ戻した。

以後、拘束者が被拘束者を監護養育してきた。

(二) 請求者は、昭和六〇年三月拘束者と別居状態で離婚調停を申し立てた。

拘束者は円満同居を希望し、夫婦関係の調整を求め、調停委員会は、夫婦が拘束者の父母と別居し、親子三人で暮らすことを奨め、請求者も同意した。

そこで、拘束者は右方針に沿つて請求者の職場に近い○○市○○○のマンション購入の手続きを進めるとともに、同年八月七日被拘束者を一時別居中の請求者に預けた。

そうすることによつて、同居が順調に行われると判断したからである。

(三) ところが、請求者は再び離婚を主張したため、同月二七日調停は不調となつた。

被拘束者を一時請求者に預けたのは、同居を前提としたからであり、事情が変つたので、拘束者は同月三一日再び拘束者を引き取つた。

その後、請求者は離婚訴訟を提起したが、被拘束者は共同親権者の一方である拘束者が引続き監護養育して現在に至つている。

2 被拘束者の生活環境

(一) 被拘束者は、父である拘束者とともに祖父母と同居し、祖父所有家屋に居住している。

祖父は○○市○○○に漁業権を有して漁業を営むとともに、貸家七軒を所有し、経済的には安定している。

拘束者は、昭和六〇年八月三一日以降は右漁業に従事し、冬期間である昭和六一年一一月から同六二年三月交通事故まで会社勤めをした。

被拘束者の父である拘束者、祖父とも男であるため、被拘束者の細かな身の廻りの世話までは手が届かず、祖母も病気がちであるため、○○市内に居住し子持たずの拘束者の実姉が毎日拘束者方に来て被拘束者の細かな身の廻りの世話をしており、家庭内は安定している。

(二) 被拘束者は昭和六〇年八月三一日以後も引続き近所の○△保育園に通い、昭和六二年四月以降△○小学校に通学している。

前記保育園が右小学校の学区内であることもあり、保育園当時からの友達がそのまま小学校の友達となり、精神的にも安定した状態である。

三 以上事実関係を詳述したところから明らかなとおり、被拘束者は、母である請求者との別居を除けば、経済的にも精神的にも極めて安定した生活をしており、未だ小学校に入学して一学期を経過したにすぎない現時点で、被拘束者を請求者に引渡すことは被拘束者の前記安定を害するものであることは明らかである。

親権者を請求者と定めた第一審離婚訴訟判決も、現時点における被拘束者の前記生活環境を安定したものと認め、親権者を請求者と定めることは右安定を害することになると判断したうえ、被拘束者の将来を考えると、請求者を親権者と定めることが相当であるとしているにすぎないものである。

親権者を請求者と定めることが相当であるかどうかについて、拘束者はこれを争い、控訴審の判断を求めているものであるが、以上の事実関係の下において、拘束者が被拘束者を監護養育することが、人身保護法に定める顕著な違法性に該当しないことは明らかである。

親権者を請求者と定めた第一審離婚判決のいわば仮執行的手段として、人身保護法にもとづく引渡しの請求をすることは許さるべきでなく、本件事実関係の下においては、離婚判決の確定をまつことが、被拘束者の将来の幸福にもつながるものと思料される。

〔拘束者の主張に対する認否書〕

答弁書「拘束者の主張」欄第二項に対する請求者の認否は、次のとおりである。

1 1は認める。ただし、拘束者は、昭和六〇年八月三一日、被拘束者を強引に連れ去つたのであり、任意の引渡しを受けたものではない。

2 2(一)のうち、被拘束者が拘束者及び祖父母と同居し、祖父所有家屋に居住していることは認めるが、その余は知らない。同(二)のうち、被拘束者が昭和六一年八月三一日以降引き続き近くの○△保育園に通い、昭和六二年四月以降は△○小学校に通っていることは認めるが、その余は知らない。

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